徳川埋蔵金に関する説や噂など伝説止まりなのか?

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徳川埋蔵金とは、江戸幕府が幕末の政局混乱の中で、財政難を解消するために、全国各地に埋めたとされる金塊や宝物などの総称だ。明治維新後、新政府は江戸城から幕府の軍用金を接収したが、その額は幕府の財政状況からすると、ごく一部に過ぎないと考えられており、大量の金塊や宝物が埋まっているのではないかとの噂が流布するようになった。

徳川埋蔵金に関する説や噂は、そのありかが特定されていないため、非常に数多くある。その中でも、代表的な説や噂としては、以下のようなものが挙げられる。

江戸城の地下説

出典 東京新聞

最も有力な説とされるのが、江戸城の地下にあるというもの。江戸城は、徳川家康によって築かれた巨大な城郭であり、地下には広大な空間が広がっていると考えられている。また、江戸城の地下には、幕府の重要な文書や宝物を保管するための地下蔵があったとも伝わっており、その地下蔵に埋蔵金が隠されているのではないかとの説もある。

現在の江戸城

現在の江戸城は、皇居として使用されている。江戸時代の江戸城は、総構周囲約4里(約12km)という日本最大の城郭であり、天守閣や本丸御殿などの豪華絢爛な建物が立ち並んでいた。しかし、明治維新後、新政府は江戸城を接収し、天守閣や本丸御殿などの建物を解体した。

現在、皇居となっている江戸城は、本丸と二の丸、三の丸の一部が皇居東御苑として一般公開されていいる。皇居東御苑内には、本丸御殿跡や天守台、富士見櫓、富士見多聞などの遺構が残されている。また、皇居西の丸には、宮殿や宮内庁の庁舎が立ち並んでいる。

駿府城の地下説

出典 wikipedia

徳川家康の居城であった駿府城にも、埋蔵金が隠されているのではないかとの説

駿府城は、江戸城に次ぐ規模の城郭であり、地下には広大な空間が広がっていると考えられている。また、駿府城の地下には、家康の遺体や遺品が埋葬されているとも伝わっており、その近くに埋蔵金が隠されているのではないかとの説だ。

現在の駿府城

現在の駿府城は、静岡県静岡市葵区にある城址公園として整備されている。駿府城は、徳川家康が天正13年(1585年)から築城を始め、天正17年(1589年)に現在の二ノ丸以内の部分が完成。現在、二ノ丸・本丸は「駿府城公園」として市民に開放されており、石垣や堀を見ることが可能だ。また、巽櫓と東御門、坤櫓が復元されて資料館として利用されている。

駿府城の主な施設は以下の通り

  • 巽櫓:市制100周年記念事業として復元
  • 東御門:平成8年(1996年)に復元
  • 坤櫓:資料館として利用されている

駿府城公園は、静岡市の中心に位置し、二重の堀と美しい石垣に囲まれた公園。徳川家康が大御所として晩年を過ごした駿府城の遺構で、現在は東御門・巽櫓、坤櫓が復元されて資料館として利用されていいる。

箱根の芦ノ湖の底説

出典 箱根町観光協会

箱根の芦ノ湖の底に、埋蔵金が隠されているのではないかとの説

芦ノ湖は、徳川家康が愛した湖であり、湖の底には家康の隠し財宝が眠っているのではないかとの伝説が古くから存在しており、また、芦ノ湖の底には徳川家康の時代に造られたとされる古代遺跡が発掘されたこともあり、埋蔵金の存在を裏付ける証拠ではないかとの指摘がある。

他の城や寺社などの地下説

徳川幕府の支配下にあった各地の城や寺社にも、埋蔵金が隠されているのではないかとの説

例えば、徳川家康が築いた名古屋城や、徳川家ゆかりの寺院である東照宮や日光東照宮などに、埋蔵金が隠されているのではないかとの説が唱えられている。

このように、徳川埋蔵金に関する説や噂は、そのありかが特定されていないため、非常に数多く存在する。また、その存在を裏付ける確たる証拠もないため、真偽のほどは定かではない。しかし、その莫大な価値から、多くの人々を魅了し続けている伝説でもある。

2024年現在、徳川埋蔵金の発見には至っていないが、近年では、地中レーダーや磁気探査などの技術を駆使した探査が行われており、新たな発見を期待したい。

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